『美術館の「原点」とは』

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日本で最も歴史の古い近代美術館の館長が語る、美術館のビジョン。

1951年、いまだに連合軍の占領下にあった日本に「近代」を冠した美術館が生まれた。 設計は、綺羅星のごとき日本近代建築家のなかにあっても、モダニズムの本流ル・コルビュジェの直弟子の坂倉準三。 場所は、鎌倉の鶴岡八幡宮の境内、平家池に浮かぶように、そのすがたを現した。 誕生のころを記憶している人は、眩しくて、正視できないほどであったという。 このじつに小さな美術館になにが宿されたのか。 ウィーン世紀末にとってのウィーン分離派館にそれは比されてもおかしくない。 イサム・ノグチは、そこで、「あかり」を発表した。 若林奮は、そこで本格的なデビューを飾っている。 美術館とはなにか可能な場所なのか。 そのことをその出発点に帰って、もう一度、確かめてみたい。

水沢勉

Tsutomu Mizusawa
(神奈川県立近代美術館館長/日本)

1952年横浜生まれ。 1978年、慶応義塾大学大学院(修士)。 同年より神奈川県立近代美術館に学芸員として採用され、現在にいたる。 2011年4月より同館館長。 世紀転換期より現代にいたるモダニズムの動向、とくにドイツ語圏と日本のモダニズムの関係に関心を抱く。 萬鉄五郎展(1985年)、エゴン・シーレとウィーンの世紀末(1986年)、オットー・ディックス(1987 年)、芸術の危機(1995年)、アントニー・ゴームリー(1996年)、世界図鑑(2007年)、エル・アナツイ(2011年)などを担当。 2008年の第3回横浜 トリエンナーレ「タイムクレバス」のアーティスティックディレクターを務 める。