日本で最も歴史の古い近代美術館の館長が語る、美術館のビジョン。
1951年、いまだに連合軍の占領下にあった日本に「近代」を冠した美術館が生まれた。 設計は、綺羅星のごとき日本近代建築家のなかにあっても、モダニズムの本流ル・コルビュジェの直弟子の坂倉準三。 場所は、鎌倉の鶴岡八幡宮の境内、平家池に浮かぶように、そのすがたを現した。 誕生のころを記憶している人は、眩しくて、正視できないほどであったという。 このじつに小さな美術館になにが宿されたのか。 ウィーン世紀末にとってのウィーン分離派館にそれは比されてもおかしくない。 イサム・ノグチは、そこで、「あかり」を発表した。 若林奮は、そこで本格的なデビューを飾っている。 美術館とはなにか可能な場所なのか。 そのことをその出発点に帰って、もう一度、確かめてみたい。