アートと世界の関係を伝説的な展覧会『大地の魔術師たち』のキュレーターが語る。
『大地の魔術師たち』(訳註)からすでに25年が経つがこの間現代美術は大きな変化を遂げた。 世界は狭くなり多くの美術館が建設され、頻繁に展覧会が開催されてきた。 アートの市場は拡大し新興国における美術の発展には目覚ましいものがある。 しかし私は多くの疑問がある。 こうした事態の発生は西欧発祥のポスト・モダンの拡散もしくは強制を意味するのではないか。 いわゆる伝統的な文化、その土地に根ざしたアート、とくに宗教的なアートはどのような状態にあるのか。 ギャラリー、美術館、コレクターのネットワークだけが芸術創造を支えるものなのか。 現代美術が盛んになるということはその地域の経済が発展したから、という理由だけによるものなのか。 こうしたネットワークから外れたアートはマイナーなアートとして民衆芸術、手仕事、民俗芸術、空港のみやげものアートとして片付けられてしまうものなのか。 今年のベネチア・ビエンナーレではこれまでアート・マーケットのメジャーな動きに入る事が出来なかった独学のアーティストが多く取り上げられていた事に驚きを覚えた。 アーティストの言説やプロモーション戦略ではなく作品そのものに再び軸足を移し関心を集中させるべきなではないのか。 形態に宿る生命そのものが、長い目で見ればあらゆる他の考察に勝るものではないのか。 文化は平等であるということならば、歴史を超越した分類をどのように作り上げることができるのか。 多彩でさまざまな価値をもった技法による表現の意味するものを明らかにする分類をどのように実現すべきか。 近代の美術は傲慢に陥り、アルカイックなアートを全て隷属させ搾取吸収してきた。 世界化の急速な進展により、こうして他を食べてしまう行為はもはや時代遅れとなったのであり回復のプロセスがはじまった。 われわれの発展はどこにその源泉があるのかを明らかにしなくてはならない時代となったのである。 *訳注:『大地の魔術師たち』は1989年にパリのポンピドゥーセンターで当時のジャン=ユベール・マルタン館長によって企画された展覧会。 欧米の近代美術の中心であるポンピドゥーセンターが欧米以外のアジア、アフリカ、オセアニア、アメリカ先住民などのアートを初めて取り上げセンセーションを巻き起こした。